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2004年年始〜一時退院

正月三が日にはおせち料理が出た。
正確に言うと、かまぼこ、昆布巻き、伊達巻き、田作…等とごはんと味噌汁、トドメに牛乳。
むぅ、何だかなぁ。
雑煮は出てなかった気がする。元旦に出たのかもしれないけど。
大晦日の夕飯も入院中経験無かったから一回立ち会うべきだったかな。

正月番組は相変わらずおめでとうございますおめでとうございますの連呼でちっともおめでたくは無い。
でも、「うっせーなぁ」とか思いながらも何故か口元が緩む緩む。
年末年始のあの感覚がまだ体内に残っていて、ふわーーっとした気分であった。
シャバの空気を吸ってしまった為である。

みんなこんなにも楽しい事ばっかやってんのか、と軽く嫉妬もした。(勿論それだけではないけど)
自分だって数ヶ月前までそんな事ばっかやっていたのに…
でもでも、確かに外泊する事でリフレッシュする事が出来たのは言うまでも無い。

朝8時に起きて、採血、朝食。
朝10時に検温、血圧。
昼前に主治医の回診。
正午に昼食。
午後10時に消灯。

入院生活を数ヶ月続けていると、それが当たり前の生活だと錯覚してしまう瞬間が確かにあった。病棟内には必要最低限の物は揃っていて、その中で沢山の入院患者が生活しているからある種のコミュニティー的な物が出来ていたし。

病院では(まぁ特定の人を除き)ゆったりと時間が流れる。……気怠い。けだるい。ケダルイ。
本を読み、映画を観、音楽を聴いていてもどうも何かが足りない。満足出来ない。

それがたった一泊の外泊でどうにかなってしまった。
素晴らしい。


正月休みも終わり、病院も通常の業務に戻った。
新年始まってからも血液には異常は見当たらない。
まぁ、ギリギリではあるが寛解の状態だ。
そんな状態がしばらく続いて居たある日、I野先生が言って来た。
「マツモト君さぁ、血液も落ち着いているし、病院に居てもする事無いからさぁ、一時退院してみない?」

ベッドは常に埋まっていて、空くと直ぐに次の患者さんがやって来る。僕も実際そうだった。
八事の其所は今直ぐ治療が必要な方の為にベッドを確保する必要があって、経過が良好な患者を一時退院させる事でベッド空けていた。飲食店っぽいね。回転していかなければ県内外からやって来る患者に対応出来ない。

次回の入院は骨髄提供のドナーが決定して移植を行う為の入院か、容態に治療を要する程の
変化があって(大体がんの再発)、その為の入院かどっちかだ。

もし再発を起こしたら今まで行って来た抗がん剤治療繰り返すんだけど、「治療抵抗性」と言う言葉があって、過去使用したクスリに対してがん細胞の抵抗力が上がってしまう。
簡単に言うと、クスリが効きにくくなるケースが多い。
同じ治療で寛解に辿り着けるか定かではない。
そもそも抗がん剤なんて猛毒だからね。それを何度も体に入れれば体にも良い事じゃないし。

当時の八事では一般的に急性白血病の抗がん剤治療は抗がん剤を3ターンに渡って投与する。
1ターン1ヶ月の3ターン3ヶ月長丁場だ。
最初の1ターン(抗がん剤投与→がん細胞消滅&血球減少→血球回復)を寛解導入療法と呼び、残りの2、3ターンを地固め療法と呼ぶ。これはあくまで順調に進んだ場合の話で、寛解に辿り着けない場合は薬を変えたり…と苦しいケースも多々あると聞いた。地固め療法も回数が増えるケースもあると聞く。

僕のケースは前にも書いた通り、抗がん剤投与による治癒(完全に治る事)は望めない為抗がん剤投与の回数は極力少ない方が良い。
11月の1発目、そして移植直前に行う前処置での2発目で終わるのが理想である。

もし、骨髄移植のドナーが決まらなければ臍帯血移植に進む事だろう。


あまり考えたく無い事ではあるが、再び血球が減少し、所謂「再発」の診断が下りたら…
僕の病気の性質上(MDSから進んだAML)、急激に減少する事は無いだろうから悪化のスピードも遅いと思われる為、対処は出来るだろうと。
退院して隔週の通院で様子を診ていきましょう、ってな話になった。

肝心のコーディネートの結果なのだが、中々良い知らせは届いて来ない。
こればっかりはどうしようもないけどね。
願うしかない。

退院予定日は2004年1月15日。
その前日、僕の人生で3度目のマルク(骨髄穿刺)が行われた。
もし骨髄中に変なのが見つかれば全てはNA.SHI.YOになってしまう。
緊張する。
3度目でも全く慣れない。
I野先生が麻酔をし(これが結構痛い)、僕の胸に例のアレをソレして来る。
緊張する。
僕はその日の担当ナースのT置さん(ちょっとタイプ)の手を握り締め…る事はしなかったが、その手前何気ない顔を作ってはいた。オタオタしていては男子的にノーである。
ま、脂汗はじんわり出ていたと思うけど。

緊張し続けている。
そうこうしている内に針は骨髄まで届いた、筈だったんだけどちょっと浅かったみたいで先生が一生懸命注射器を引いても骨髄を吸い取れない。
お上手に目が泳ぐ先生。
僕は「ははは…」と引きつった笑いで何とか取り繕ったが心の中では「早よしろって!」と思った。

結果は…異常なし。
晴れて一時退院が決まった。
期間は移植が決まった時か、再発を起こした時だ。
正直それは何時になるのやら。

半月分の入院費を納め、退院。
初めて自分の手でお金を納めた。(お金は親からですけど)
退院間近な為、そんなにクスリを入れてなかったので金額的に高くは無かったのだが、クスリも輸血もバンバン入れた11月の治療費は凄い金額になったんだろうなぁ、ありがとう両親、ありがとう高額医療補助。

何はともあれ、外での生活を許され、通院の事もあるから基本的に名古屋で静養する事になった。
先の事は分からないが、とりあえず外で生活を送れるってのだけで嬉しいよねー

《続》

at 04:55, kentaweller, ずっと前 vol.1

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