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2004年1月15日〜2004年5月5日 一時退院、其の四

一時退院中の通院は隔週に決定。
外来時の担当医は血液内科部長、鬼のH林先生。
日本で始めて骨髄移植が名大で行われた時のメンバーだ。
今はだいぶお年を召されて、丸くなったっぽいが、きっと若い頃は怖い先生だったに違いない、というオーラがムンムンしている。

「君達みたいな若い患者を助けずに、何が医療だ。」
みたいな事を最初の外来時に言ってくれた。歳はとっても熱いオトコだ。
単純な僕はその言葉に感動した。


病院へは実家から東名で通うor自宅からポンコツバイクで通った。
まだまだ寒い季節だった。

血液は…
赤血球HGB…10万(正常値15〜20万位?)
白血球WBC…3000(5000〜8000位?)
血小板PLT…8万(13〜40万位?)
が平均だったと思う。

医学的に言う「寛解」ではない。
そこから上昇してくれないのだ。

本を読めば、骨髄異形成症候群(MDS)患者の非寛解時の骨髄移植後の5年生存率は。。20%。
何気に凹む数字。
前言った通り、(悪く言えば)元々治る見込みが薄い老人の患者さんが多い病気な事もその統計に少なからず関係があるだろう。
非寛解時と言っても当たり前の様にピンからキリまであり、少し少ないだけの人から明らかに再発してしまった人までそれに当る。

悪性の細胞は見つかってないから、悪くは無いよね、と前向きに考える事が出来れば良かったのだが、いかんせん、それほど前向きにはなれなかった。

隔週の通院の度に徐々に血小板が少なくなってきている。
8万が7万、次は6万ちょっと、みたくね。
僕の造血細胞も限界なのか?
このまま血球減少が続き、そのうちに悪性の細胞が増殖し出すかもしれない。
不安に怯えつつ、じっと待つしか無い。


そんな折、2月末くらいかなぁ、いつもの様に採血が終わり、診察を受け、少し雑談をしていた。
「今日はちょっと良いニュースがありますね。」と部長が言って来た。
何と、完全一致のドナーさんが見つかったのだそうな。

補足するが、骨髄の型、は大きく分けて6つある。
当然ながら拒絶反応の事を考えると、完全一致が望ましい。
1座不一致で移植のケースもあるにはあるが、それは親族からの1座不一致移植が多く、骨髄バンクからの1座不一致での移植はあまり無いらしい。
1座不一致のドナーは今までにも何人か該当者が居た、との事。
臍帯血移植の場合は、臍帯血(赤ちゃんの臍の緒から採取できる細胞)はそれ自体が未熟な細胞の為、6つの型(座)の内、4つまで一致していれば移植が出来る。
骨髄は成人から成熟した細胞を採取する為、『融通』が利かない。
融通が利かない、と言う事は移植による拒絶反応が強く出る事になり、その結果、死に至ってしまう場合も少なくないと聞く。

移植してからどんな臓器にどんな拒絶反応が起こるか分からない分、そのリスクを少なくする為に、なるべく良い条件でやる必要があるのだ。

教えてもらったドナー候補の方は。。26歳、女性らしい。
嬉しい話ではないっすか。
「その人には拝み倒してでも最終同意まで漕ぎ着けたい。」
と部長も少し興奮。


「後は、その人が健康診断をパスし、最終同意を得られれば、移植できるねぇ」


僕は足取り軽く病院を後にし、近くの珈琲屋で湧き上がる嬉しさを押えきれず、ニヤニヤして珈琲をすすった。
母親と、彼女と、後は色々。思いついた人に電話した。
視界が開けた様な気がした。
クソ寒い日だったと思うのだが、なんて今日は素晴らしい日で、なんて僕はツイテル男なのだ、と本気で思った。

本気で思った。

《続く》

at 01:26, kentaweller, ずっと前 vol.1

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