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2004年1月15日〜2004年5月5日 一時退院、其の五

くどいようだが、本当に、嬉しかった。

ドナー候補者が決まった事を知らされた時点で、移植予定日が決まっていたようだ。
その日は2004年4月16日。

移植の前に準備が色々あるので1ヶ月前に再入院する。

最初の2週間は僕の内臓等の検査。

後の2週間は前処置に入る。
個室に完全隔離され、色んな事をやる。その話はまたいつか。

知らされたのは2月末。

残された時間は後1ヶ月。一時退院中の僕の生活を取り巻いていたある意味ノーフューチャーな緩ーい空気が吹き飛び、もう何かね、もう勝手に神輿を担がれている様な、うーん、難しいな。骨髄移植と言う想像出来ない行為に向けて後戻りが出来ない状況が急ピッチで作られつつある事に戸惑っていた。

簡単に言うともうビビっていた。
勿論嬉しいんだけど。

取り敢えず実家に帰る。
2週間程滞在。

犬を連れて昔通った小学校、兄ちゃんとクワガタ取りに行った裏山、父親の実家所有のみかん畑…毎日散歩に出掛けた。
当然のことながら当分は帰ってこれない.
目に焼きつけておこうと思った。
もろちん、あ、失礼しました。もちろん敬愛する祖父母達にお別れを告げて、いや、お別れではないけどお別れを告げて。


さあ、これから名古屋で仕度しながらゆっくり過ごそうかねぇ。
と、そのつもりで一時退院中最後の通院をする為に名古屋へ向った。

採血をし、診察も終わり、会計を済ませ、お腹が空いた僕はバイクでの帰り道に川名(壇渓通り)のケンタッキーに寄り、そこでチキンを食べていた。
生温いチキンの小骨をチュッチュしていると、携帯が鳴った。

!!

病院からだ。

部長先生からで、僕が帰ってすぐにバンクから連絡が入り、殆ど決まりかけていたドナー候補さんが突然キャンセルを申し出てきた、との事を伝えられる。

決まってから頭の隅っこでずっと恐れていた事が現実になった。

「はぁ」、「はぁ」、「はぁ」「。。」
言われる事に対し、空っぽの相槌を打っていた。

「大丈夫?」と部長先生が聞いてきた。
話の内容は分かっているが、解っていない、というか。。

電話を切る頃には大分正気に戻った。
「まぁ。。しょうがないよ、ねぇ…」
取り敢えず、仕事が終わってるであろう母親にtel。

10分位話し、もうそれ以上事情を説明したくなかったので店内に戻り、冷たくなったチキンと薄まったコーラを飲んだ。

それから。。友人宅に行って現実逃避した。正々堂々と。

ゲームを黙ってずっとやっていた。
あ”ー、ずっとこのままだったら良いのに。。とか、その日だけは本気で思った。

夜になって、自宅に帰り、酒を飲み始める。

ドナーが決まった事を報告した人にはその事も伝えねば。
あー億劫よね。
でも皆驚きながらもそんなネガな話をちゃんと聞いてくれた。ありがとう。

で、数日後には吹っ切れた。
あちらにはあちらの事情があるに違いない。
身内の反対とか、何らかのアクシデントとか、信仰上のアレとか。

よく言われるような、後遺症、見たいな事は今では殆ど起こっていない。
でも、その「もしかしたら」に恐怖を感じてしまうのはしょうがない。
骨髄提供という行為は善意のボランティアでしか無いのだ。

報酬を払う、と言う行為になってしまえば、また別の、深刻な問題が出てきてしまう。

だから、しょうがない。
これしか言えないのだ。

じっと待つ。
そしてもう4月になった。


《続》

at 02:00, kentaweller, ずっと前 vol.1

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