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2004年1月15日〜2004年5月5日 一時退院、其の六

4月。

僕の主治医であるI野先生はは2年間の名古屋での単身赴任を終え、本来の勤務先である甲府の病院へ戻る事になった。

僕にとってあまり縁起が良くない(と思えた)事が続く。
徐々に悪化していく血液。
決定直前でのドナー候補さんのキャンセル。
慣れ親しんで来た主治医の交代。

検査が終わった僕は転勤直前の先生を訪ね、色々話をした。
担当している患者を残して戻らなければならない状況を酷く残念がる。
曰く、何とか移植まで立ち会えると良かった、もし4月16日で決まっていたら立ち会えた、とか。
向うで待っている家族の事とか。
自分の研究している血液の凝固について、とか。

色々話した。

色々話してると何だか、僕もどこか一人ぼっちになってしまう気がして(当たり前のことなのだが)、泣きそうになった。
いや、別に泣ける話なんてしていないのだが、自分のこれから辿っていく道が再びぼやけて来た様な気がして、不安で、どうしようもなかった。

でも、やっぱり、先生と話していると、何だか安心して、そんな気持ちが薄らいでいくのだ。
やっぱり、人間は「初めての人」に弱いのかもしれない。
最後に、握手してさよならした。

「上手く行く事を甲府から祈ってます」

先生は外来を受け持っていない分、入院患者の担当が多かった。
患者さんが危篤になると夜中でも呼び出される。
そんな事も多々あったようだ。
フラフラして白目が真っ赤で診察に来た時は笑った。事もある。
そんなイーノは入院患者、看護師さん達にとっても良い先生だったと思う。
どうもありがとうございます。
お仕事頑張ってください。
僕はまぁ、いい感じに頑張ります。

僕はその帰り道、昭和区の八事から東区白壁まで歩いて帰った。
ずっと音楽を聴きながら雨降っていたので傘差してトボトボ歩く。
shoeをgazeしていたもの。
自分の置かれた状況に酔いすぎていたのね。



ま、そんな事言っていても、腹は減り、酒は飲む。
あまり良くない事の後には、良い事が待っている。
そんなもんだ。

それから一週間程経ったある日の朝、郵便屋が速達を持ってきた。
郵便受けでなく、直接持ってくるなんて。。何だろ。

病院からだった。
部長先生の一筆書きの様にサラサラサラーーっと書かれた手紙には、
保険でキープしておいた新しいドナー候補さんが最終同意に応じてくれ、その結果、貴方の正式なドナーに決まりました、との事。

不意を襲われ、何のこっちゃ、みたいな感じで読んでいた。
寝起きだった。
時計を見ると午前9時。付けっ放しのテレビから「トクダネ」が垂れ流されていた。

両親とももう勤務中なので、母親が帰っているであろう夕方にtel。
「あぁっ、そう!!良かったねぇ!!」
というセリフをその電話で何回も聞いた。

その手紙には、ドナー決定に伴い、再入院日は2004年5月6日、移植予定日が2004年5月28日と記されている。
実は今度のドナーさんの骨髄は僕とは完全に一致していない。

追記してあったのだが、1座不一致での移植となるが、現在の状態から考えれば乗り越えられる可能性が高い、と書いてあった。
少々拒絶反応は出た方が良い。
医学的にはGVHD反応と言われるのだが、その反応が強く出れば出る程、危険は多い(結構危険なトコロまで体験しましたが、その話はまたいつか)、しかしその分良い面も有り、細胞同士がやりあう事で体内に残っているかもしれない癌細胞もやっつけてしまう事が検証されている。これはGVL反応と言われる。

非血縁者1座不一致での骨髄移植が決まった。
まぁ、5年生きられれば問題ナシだ。

入院が延びて一つだけ良かった事が有った。
友人である山崎の結婚式に出席した事だ。

《続》

at 01:05, kentaweller, ずっと前 vol.1

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