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2003年10月10日

 店から病院まで約700メートルくらいで、その道中は店に戻ってからの仕事の段取りをボーッと考えながら歩いた。

東方端の交差点にはかなりローカルながら有名人が居て、その何が有名かと言われれば、
・40代男丸顔
・白のキャップに黒ぶちメガネ
・何故かハイヒール
・指には赤いマニキュア&プラスチックの指輪がいっぱい
・腕にはおもちゃの腕時計がこれまた沢山
・時にはストッキング着用
・ママチャリ
・交差点の角の辺りにいつも佇み、車が通る度にその右手をその進行方向にピュッと差し出す。(交通整理みたく)

いやー怪しい。僕らの間では「ウォッチマン」と呼んでいた。
あ、しまった。どうでも良い事書いてしまいましたね。

ウォッチマンがいつもの所に居るのを確認し、半笑いで通り過ぎ、病院へ。

いつもの外科に向かう。
しかし、何故か内科に行くように言われる。
訳の分からないまま内科のドアをノックして入室。
血液の数値がどうのこうの…とか先生が言った。
??
その先生は僕が中学生時の部活(軟式テニス)の顧問に似ていた。
名は織田。
饅頭みたいな顔をして三菱のデリカに乗っていたので「織田マン」とか「マンデリ」とか言ってたっけなぁ。。。とか思い出したりした。
話を聞いていると、今日から入院、との話。
ちょっと待て。
何がどうで何故入院しなければいけないのか。
織田マンに訊いても「今は汎血球減少症としか言えない」とかとか。

普通に考えれば緊急入院になってそんなピンと来ないよく分からない病名言われたら何かしら恐怖を感じたりするのだろうが、いやー恥ずかしながら僕は呑気なもので人生初の入院に正直ワクワクしたし、『検査』入院と言う響きに惑わされどうせ1週間くらいの入院で無事釈放されるだろうとタカを括っていた。

店にtel。突然の事に向こうもびっくりしていたが、まぁそうなっちゃったんだから…と。
続いて実家の母親に。
当たり前の事なんだがびっくりし、急いで名古屋に来ると言う。

その後、CT撮ったり、耳たぶに軽く穴を開けて出血がどの位で止まるか…などの細々した検査。

内科病棟に連れて行かれ、処置室へ通された。
ん?処置室?
骨髄を調べると言う。
そう、俗に言う「骨髄穿刺」だ。通称「マルク」
胸骨から骨髄を抜くのをマルクと呼び、腰骨から抜くのをルンバールと呼ぶ。
僕は終止一貫としてマルクだった。

「痛く無い人と痛い人が居る」と看護士さん。
胸をイソジンでベトベトにされ、丸い穴が開いた紙を被せられる。
局部麻酔。
もっとフランクな、カジュアルな感じで終わると思っていたのだが、予想外の物々しさに若干ビビる。
織田マンが金属のストローみたいな針で一生懸命僕の胸をほじる。
針が僕の胸骨を抜け、骨髄まで達した。
「はーい。じゃ骨髄を採りますよー」
とか言うと、何かすごく変な感じ。
胸が詰まると言うか、息が出来なくなると言うか、に襲われた。
キュンとする感じ。

痛いと言うか、痛く無いと言うか…何とも言えないですね。
とりあえず脂汗がいっぱい出た。


そんな風呂上がりみたくぬーっとしていると静岡から母親到着。
一回自宅へ戻り、荷物を取りに行く。
タクシーで5分位。
着替えと少量のCDとか本とか。
その日の自分の部屋の光景は今でもよく覚えている。
薄暗くてぼやけていて、自分の居場所ながらどこかよそよそしく感じた。

病院に戻り、母親と一緒にもう一度織田マンの話を聴く。
「血液中の血球(赤血球、血小板、白血球)が何らかの原因で減少しており、現時点では汎血球減少症としか言えない。原因としては葉酸とかのビタミン減少、並びに…」とか長い話をしてくる。最後にボソッと「白血病とか、再生不良性貧血の疑いもひょっとしたら…」
そんな現実味の無い話は正直気にならず、只の不摂生による体調の不良だと思っていた。

採取された骨髄は愛知医科大へ送って検査してもらうのだそうな。
大体3、4日で返事が来るのだそう。
で、初の入院。
初夜である。
あんな事やこんな事が起こってしまうかもしれない。むふふ

同室は糖尿病のおっちゃん1人。
気さくに話しかけてくれる。
何か起こるかもしれない。
内科病棟勤務の看護士さんも年配の方が多い。
何か起こらなくて良いのかもしれない。


大体想像ついていたのだが、飯が美味しく無かった。
毎朝ロビーに届く新聞をおっちゃん同士が奪い合ってた。
耳の早い友人数人、お見舞いに来てくれた。
当時の御時世でも珍しいとは思うんだけど、屋上に喫煙スペースがあった。
夜中そこでの一服が気持ちよかった。
テレビ塔もばっちり見えるぜ。
人生初ウォシュレットを使い、軽く癖になった。

あっという間に3、4日経った。
織田マンは検査結果を中々教えてくれない。どういうこっちゃ?
訊きに行ってもまだ出ていない、の一本槍な返事。

そして6日後の2003年10月16日を迎えた。

【続】

at 01:33, kentaweller, ずっと前 vol.1

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