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2003年10月16日

 その日はとっても気持ちよく目覚めた。
天気も良好。
僕は午前中にシャワーを浴び、おっちゃん達が読み散らかした朝刊に目を通し、同室で糖尿病のおっちゃんと一緒に散歩に行き(内緒で)、その帰りに寄ったコンビニでエロ本を物色し、偶然其所に来た友達にばったり遭遇し焦ったりしていた。
で、
帰って来てからは病院の自販機でグレープフルーツジュースを買って屋上の喫煙所でタバコを吹かしてイイ気分になってもいた。

母親の後日談ではその時の僕の顔はすごくご機嫌な顔をしていた、らしい。
今も覚えてるって言うからね。

その時、其所に母親が登場。
? 何で来てんの??

本当にびっくりした。
だって仕事中でしょ??
何故、其所に、突然、母親が来てるのか。

きっと検査結果が出たのだ。
漸く、ようやく今日こそ結果を教えてもらえる訳だ。
っても何故僕にその事を伝えてこない?若干の気持ち悪さが残る。

親の話では
「両親が揃った状況でなければ結果を教える事は出来ない」
んだって。

父親は勿論仕事中。
母親から連絡が入ったらしく、定時で上がって名古屋に向かってくれるらしい。

でもでも、一応僕も成人な訳で、そこに母親が居るのだったら何も問題無いだろうと思って主治医の織田マンにその旨を伺ってみた。勿論成人らしくね。

答えはノー。
漸く思った。こりゃヤバいんじゃないのか?

血の気が引いた。
2人で病室に戻り、無言で時間が過ぎるのを待つ。
軽く放心状態になった。
いや、マジで。
怖い。
逃げ出したい。
今僕の体に何が起こっているのか。
時間が過ぎれば分かるんだけど、中々…
布団を被って何かに怯える。
母親は黙って週刊誌を広げる。
あの時間は本当に長かった。

漸く夕方。
ご飯食べたのかどうなのか、いやー分からない、覚えていない。
父親の到着を待つ間に落ち着いたのは確かだ。
で、
肝心の父親なのだが、慌てて、慌てて、慌てすぎて名古屋高速にはまり込んで到着が遅れる。
東方端までの道を説明する。

夜9時前に到着。遅っ
到着後の父親は何か風呂上がりみたいな顔をしていた。

さて、いよいよ…
ってのに織田マンはこの期に及んで「先に両親に説明を…」と抜かす。

丁度友人カップルがお見舞いに来てくれていたので3人で屋上で雑談。
緊張を解きほぐす為にか、よく喋ったのは確かだ。

30分後、母親が僕を呼びに来た。
会うなり
「実家に帰るよ!!」と言い放つ。
若干赤ら顔である。

結果は「骨髄異形成症候群(MDS:Myelodysplastic Syndromes)」
むむむ、

簡単に言ってしまうと…
まぁ、名前の通り、造血細胞である骨髄が正常で無い(異)状態で形成され続ける病気の総称。
白血病もそう言ってしまえばそうなんだけど、あぁ、もう面倒くさい。
血液のがんの一種を患った訳です。

僕の場合、その数種あるMDSの定義上、芽球増加型不応性貧血のタイプ鵺(RAEB鵺)にあたる訳であった。
白血病よりも病気の進行は緩やかで徐々に白血病化(白血病細胞=芽球が増殖)していき、それが全体の20%を超えると急性骨髄性白血病(AML:Acute Myelogenous Leukemia)に進化した、と言われている。でもでも、病気の進行がAMLと比べてずいぶんゆっくりと進んでいく為病気自体がしぶといのかどうなのか、抗がん剤投与による完治は無いとされている。

…らしい。
「織田マンが僕に会ったら必ず言う台詞、
ビタミン、葉酸、鉄などの不足によるなにそれ…ではさすがに無かった。

ここ見ると今でも泣きたくなってしまうんだけど…それは若年層の患者が少なく、根治療法である造血幹細胞移植に進む患者が中々少ないだけだと、勝手に思っています。
生存率10%って…

意外と冷静に話を聞いていた、らしい。
うーん、ボーッとしていたと言う方が正しいと思う。
織田マンがボソボソ何か言ってるのを「へーそうなのね」ってな感じで。
すみません、かっこつけました。
でも別に取り乱してはいなかったので、まぁそんな風。

とりあえず、訊いた事は…
Q 骨髄採取時の白血病細胞の数は?
A 16%
Q 正直に言って完治の可能性はあるか?
A 移植を行い、成功すれば十分にある。
Q 何処の病院で治療を受けるのが良いか?
A 実績のある病院を5件ほどリストアップします。

その時初めて知ったのだが、日本で骨髄移植が行われたのが名古屋で、血液疾患に於いては進んでいるのだそうな。
5択から鶴舞にある某国立大学病院と八事にある赤十字的な病院を選んだ。

正直何処でも良かった。
んなもん治るんだったら何処でも良い。
いや、中村方向は何となく嫌だったけど。(お住まいの方すみません、僕の偏見です)
織田マンが得意の朝イチで連絡を取ってくれるのだそう。
HPのプリントを頂く。

で、両親と協議。
母親的には当然の事ながら実家に近い浜松で治療を受けてほしい、との事。
でもでも、僕は何年もこっちで暮らしているんだからこっちで治療を受けたい旨を伝えた。
父はこう言った時にはほとんど自由にさせてくれた。勿論今回も。
母も目が潤み、うなだれながらも了承してくれた。どうもありがとう。

2人ともだいぶ疲れていたので僕の家で1晩休んでいくとの事。
そりゃ疲れるわ。


屋上に戻り、友人に病気の事を伝える。
2人とも言葉が出なかったらしく、僕の方が気を使って何かどうでもいい話をしていた。
リアクション薄っ。
当たり前だ。
ま、そりゃ何も言えないよね。

僕から発散された負のオーラに祟ったのかどうなのか、その2人はそれから上手くいかなかったらしく、その後すぐに別れましたとさ。ゴメン


2人が退散した後、職場の大将にtel
「えーこれからお店どうしたら良いの?」とかおっしゃって頂いた。
「まぁ、まっちゃん(僕)も大変だけと思うけど、色々頑張って」と熱い激励も。
まぁまぁ、そんなもんでしょう。
個人経営だから、年末に向けてこれから人手が欲しい季節だから、僕が唯一の従業員だから、etc…
僕が入院中お店で切羽詰まっていたのかもしれない。
だから、別にそれについてとやかく言うつもりも無いし、向こうにしてみたら純粋に「困ったなぁ」という事態なのはよ〜〜〜く分かる。ごめんなさい。
そっちも余裕無いのは分かるけど、僕も無いんですよね。
んなかっこ良い事言ってても、電話中そんな風に言われて顔は強張ったのは認めます。


テレビ塔を眺めながらしばらく夜風に当たる。
誰にもどうしようもない事態である。

消灯後、トボトボ部屋に戻り、同室のおっちゃんのベッドに潜り込み…
と言う事はしていないのだが、色々良くしてくれたので自分の病気の報告&明日転院する事を伝える。
おっちゃんは涙ぐんで、
「多分これで会えなくなると思うけど、、頑張れよ」
とかそんな風に言ってくれた。
ありがとうございます、今でも元気です。

その日は消灯後もずっとテレビを付けっぱなし、これからどうなってしまうのか、とか色々な事を思い、悶々と過ごしていた。
朝方少し眠れたのかも。


【続】


at 03:16, kentaweller, ずっと前 vol.1

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