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2003年10月17日

なんだかんだやっぱり寝たと思う。

でもでも、当たり前なんだけど中々寝れない。

病気が病気だけになるべく早く治療に入らねばならないんだけど、そんなのは分かっているんだけど、やっぱ…怖いっす。
他所の病院にがん患者として出向く訳だ。

僕は「がん患者」な訳だ…。

治すしか無い。
治すしか無いんだ。放っておいたら確実に「死」なのである。


むぅ…



覚悟を決めた。
生きたいなら逃げる事は出来ない。

前日の夜中、死んだ魚の様な目で深夜番組を眺めながら確かにそう思った。

でもでも、やっぱり怖くて、その日に買ったエロ本の後半の広告に載ってた出会い系サイトの無料体験に登録して少しやってみた。
馬鹿だな、僕は。何やってんだ。

いつもなら深夜にテレビが点いていると怒る看護士さんもその日だけはそっとしておいてくれた。
ありがとうございます。


織田マンが珍しく約束通り朝イチに来てくれて転院についての問い合わせの結果を教えてくれた。
一応、僕の第一希望は鶴舞の病院で、別に理由は無いんだけど公園の前にでっかいのが立ってたよなぁ…とかそんな理由で。
色々な施設も充実している様な事を聞いた様な。

しかし、向こうの返事はベッドが空いていないのでもしご希望ならベッドが空くまで市役所の隣にある国立病院で…との返事。
そんなめんどくさい事はイヤダ。
昔友人が十二指腸潰瘍で入院した時に目の当たりにした、ちょっと年季の入った感じが何とも言えぬアレだったのでその2つはパス。

第二希望の八事。
前夜に貰ったHPのプリントには症例数は全国一と紹介されていた。(当時は)
しかしそこもベッドに余裕が無いそうな。
ところが当時の血液内科の部長先生が「ベッドなんて後で何とでもするから早く来て治療せにゃ」みたく言ってくれた。
そんな事言われりゃ勿論行きますよ、ねぇ。

転院先は八事に決めた。
八事と言えば僕が名古屋に来て最初に住んだ町である。
甘酸っぱい物も多数眠っている。
昔の彼女に会ったらどうしよう。
これは何かの怨念なのかもしれない。

午前中の内に早速母とタクシーで向かう事になった。

東方端の病院では約一週間の入院だったが何だかんだ思いが募った。
織田マン、おばさん看護師の方々、屋上、喫煙所、不味い飯、白壁、泉、東区…
何か遠い所に行ってしまうようなそうでないような。

内科病棟を出る時、病棟の皆が見送ってくれた。
どうもありがとう。
あんま喋った事無いおばちゃんが半泣きで「あんた、頑張んなさいよ」とか言ってくれた。
ありがとうございます。
松葉杖を借りっぱなしで家に置いてあるのでいつか返しに行かなければならない。

タクシーの中で何を喋ったんだろう。
大体20分くらいかかる。
名古屋に遊びに来ている母とタクシーで移動中、みたく取り留めの無い会話を。
道中当時住んでいた辺りを通過。
あー懐かしいわね。あんたあの時、どーだこうだ…
2人とも沈黙を嫌がっていたんじゃないかなぁ。

病院に到着。
現実は待ってくれない。
救急外来の窓口に行く。

まず足の付け根、鼠径部の傷をなんとかしないといけない。
白血球減少により、抵抗力が弱くなっている為、そこの傷口から何か入ったら面倒くさい事になる。
救急病棟24時みたいな番組に出てきそうな広々とした部屋に連れて行かれ、外科の先生が来て足に刺さったままのドレーン管を抜きにかかった。

膿はもう出ない。
その最中、カーテン越しに若い女性の悲鳴。
お隣さんはどうやら花屋の方で、仕事中ハサミでお手てをザクッとやっちゃったらしい。
「麻酔してもここは効きにくいよ」とか言われてるし…
麻酔無しで縫合しているようだ。
その間僕はストレッチャーの上でパンツを脱いだ状態で処置をしていた。
聞いてるだけでゾッとし、別に大きくも無い僕のソレがキュッと縮んだ、かも。

処置が終わり、僕は個室に連れて行かれ、血液内科の先生を待つ事になった。
個室に移る時、救急外来の待合室にじっと座っている母親の顔が見えた。
顔が強張っている、いや、真顔なのか。
どこか一点を見つめている様な、そんな顔をしていた。
母の真顔を久しぶりに見た様な気がした。

暫くして先生が登場。
名前はI野先生。
甲府から単身赴任中の少しおどけた感のあるナイスガイである。
「さーて、早速だけど骨髄採ろうか」
ここの病院では骨髄穿刺(マルク)に使う極細の金属製ストローみたいな針は一回一回新品を使用してるから針に自信があるのだそう。
って今から思えばそりゃそうだろ、とか思うけど。
ひょっとしたら当時はまだそんな風だったのかもしれない。
アレは何回やっても緊張して嫌な汗が出る。
脂汗。
先生は骨髄をプレパラートに少量落とし、ドライヤーで乾かしている。
「夕方には結果教えますねー」
どうやら僕の担当医になるらしい。


その後、1病棟6階の血液内科の病棟に移動。
普通に歩けるのに車椅子に乗せられての移動。
その病棟は血液内科と内分泌内科の混合病等だ。


師長さんからの挨拶を受け、ベッドが空くまでミーティングルーム的な個室にベッドと共に運び込まれ、病室が空くのを待った。
丁度夕方にひとつベッドが空くようだったのでそれまでそこで待機。

母はちょっと買い物に行ってくると言って部屋を出る。
独り残された僕は自分の病名を友人に知らせようと思った。
色々な人にねぇねぇ僕ってばこんな病気になっちゃって…とかそんな風に言えないので、the ARROWSと言うバンドをやっているRだけにメールを送った。
後はそいつからうまい事伝わって行くだろう。
酷い話なのだが、自分の彼女(以後猫娘)にどうやって自分の病名を伝えたか、正直覚えていない。電話なのか、メールなのか。昨夜なのかその時なのか。
どちらにしても返事は中々帰ってこない。そりゃそうか。

母は入院受付を済ませ、本屋で妹尾河童さんの「少年A」とか何だかんだ買って来てくれた。

そうこうする内にちゃんとした病室に移動となった。
部屋は6人部屋の窓側。
向かいは僕と同年代っぽく見える。
M木君。
悪性リンパ腫で入院中だ。髪はまだある。
熱烈な阪神ファンでデイリースポーツが山積みされている。
軽く挨拶。ひとつ年下。
話をしている内にその日担当の看護師さんが登場。
あら、いいですねぇ
ってか、八事に来た時から思っていたんだけど若いコが多いねぇ。

前の所がアレだっただけかもしれないんだけど、いやいや、ずっと気になっていた。
軽く感動を覚えた。
食事も前の病院よりはずっとましだ。(思えただけだけど)

まぁ、そんな感じで過ごしていると先生が来てマルクの結果を教えてくれた。
2003年10月17日の時点で骨髄中の芽球(癌化した細胞=blast)の割合が21%。
1週間で大分増加した。
僕の病気、骨髄異形成症候群の分類で言うと、RAEB鵺から進行して急性骨髄性白血病へ進行したと言う事になった。
赤血球5万(通常の約3分の1)、血小板5万(同じく)

まぁ病名が何であれ、治すしか無いのだ。

とか思いつつも前日の寝不足のせいで一気に眠たくなり、隣のおっちゃんが消灯後に自分の息子を可愛がっている音も(何故か)暗闇に響き渡る電気髭剃りの(ような)音も気にならず、眠りについてしまった。

【続】

at 13:56, kentaweller, ずっと前 vol.1

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