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2003年10月18日〜

 よ〜く寝た。

確か、転院したのが金曜日か何かで土日を挟んでしまう為治療に入るのは月曜日から、と言う事になった。
その2日間、何をしていたのだろう。
本を読み、それに疲れると病院内をウロウロし、それに飽きたら自分のベッドに戻って音楽聞いたり、今までに書き貯めたレシピを整理したりしていて、積極的に他の患者さんとコミュニケーションを取ろうとする事は無かった。
ほら、人見知りなんすよ。僕って。

耳の早い友人達がパラパラお見舞いに来てくれた。
まぁ、日常生活は普通に(病院内で生活する分には)元気だったので、他の人から見たらこいつ入院して来たばっかなのに元気だねぇ、とか思われてしまうくらいに普通に過ごしていた。
別にかっこつけて言ってる訳では無いんだけど、現実を受け止められずに自分の部屋で籠りっきりで、では無かった。
もう腹は括った。のである。
当たり前だけど皆に対して羨む気持ちは無くは無かったけど…いや、勿論ありましたけど。

余計な事は考えない様にしていた。ってか、考えていなかった。
病棟のアイドル、泉ちゃんってコ(同い年?)が居て、18日の日中の担当だったんだけど、朝8時の採血に来た時は天使に見えていたもん。
後光に近い物が見えた。
ドキドキしすぎて10時の血圧の時なんて本当に20程高かったし。120→140位に。


部屋は俗に言う「大部屋」で、6人の患者がそこで寝起きしていた。
偶々若い患者が多かった時期みたいで僕を入れて3人若いのがそこで暮らしていた。
向かいのM木君とは挨拶はするけど必要以上の事は喋らなかった。
もう1人はK藤さんと言う方で僕よりも4つ程年上だった様な。
K藤さんも悪性リンパ腫で入院中だった。


月曜日、とうとう治療に入る。
先ずは右鎖骨下にカテーテルと言う管を通す。
その管から点滴を繋ぎ、常時生理食塩水が流れてる状態で、必要に応じて輸血、投薬を行う。
マルクのときみたく、イソジン、紙を被せ、麻酔、切開。
カテーテルを通し、その管を皮膚に縫い付け、テープで固定。
ちゃっちゃっちゃと終わる。
管が鎖骨下の静脈を通る時何かスーッとする位で別に別にな感覚。
勿論ドキドキしっぱなしだったけど。
後でレントゲンを撮って無事通ってる事を確認。
体内のだいぶ奥、心臓に近い所まで先端が行くんですね。

それから輸血を少々。
赤血球、血小板共に通常の3分の1だったからそりゃそうか。
1パックづつ輸血。
うろ覚えだけど、血小板は1パック4、5万で赤血球は2万程するんだそうな。
これもうろ覚えだけど、輸血された赤血球は1週間弱、血小板は2、3日は持ってくれるらしい。

濃縮されている分色々な人の血液から造られているんすね。感謝。
国保の高額医療補助にも感謝。

カテーテルを通した事で24時間ずっと点滴に繋がれる事になった。
ご飯食べているときも、トイレでウンコする時も、半目開けて寝てる時もずっとだ。

翌日、いよいよ抗がん剤投薬。
なんて名前の薬だっけ…キロサイド、イダマイシン、もう1種。まぁいいか。

投薬は3日間。
3つの内のどれかが真っ青な色をしていて、そいつのせいでおしっこが緑or青に染まった。
薬によっては赤く染められたのもあったみたいでそっちの方が中々アレですね。
吐き気止めも定期的に注射。
想像していたよりも、と言うよりその時は別に吐き気の兆しなんて全く無かったので、あーこんな物なのか?とか思ったりしていた。

治療と同時進行で家族の骨髄の型を調べた。
HLAと言うのだが、親兄弟の中でこれが一致していればすんなりと骨髄移植へ進む事が出来る。
この検査は患者みたく骨髄を抜いて調べるとかでは全く無く、末梢血液、普通の採血で分かるものなのだ。
一致する確率は…兄弟が4分の1、親は約1000分の1らしい。親少なっ。
両親には悪いけども、兄妹しか期待していなかった。頼むぞ。兄ちゃん、妹よ。
単純に言ってしまえば2分の1。
確率は低い訳ではない。

このHLAを調べる為に検査費用が1人20000円程かかる。
通常患者側の負担となっているのだが、僕が入院していた病院の当時の(あくまでも当時は)部長先生の方針もあり、その費用は病院側が負担しようじゃないか、となっていたらしい。友人からお見舞いで貰った骨髄バンク発行の「白血病と言われたら」(2003年版)にも八事だけ費用が書いてなかったから当時はそうだったと思う。
本題からすれば小さな事だけど、そんな小さな事が嬉しかった。

結果は1週間後。正直不安であった。

抗がん剤のお陰で血液検査での芽球(blast,白血病細胞)の数は着々と減少しており、実感は無いけれど悪い細胞は少しづつ減っていると言う現状を素直に喜んだ。

情けない事に当時僕はPCを持っているくせに殆ど触らず、アナログな生活を送って居た為、病気に関する情報は前述の本と主治医、看護師さん達に訊いたりの2通りしか無かった。
その方が良かったのかもしれないし、あればあったで便利だったと今では思う。

ある日、前職場の大将が常連さん数人とお見舞いに来てくれた事があった。
未払いの給料(のほんの一部)を渡すついでに。
一緒に来ている常連さんの手前、コソッと握手する様に渡して来た。笑
何度話したか分からないくらい同じ話、自分の病気の説明をし、突然こういう形で退職する事についてお詫びをし、まぁ、なんとかやってみます的な事を話した。

余談なのだが、その日の夜、僕が入っている大部屋に空き巣が入った。
抗がん剤の副作用の一つに便秘があって、その時もトイレの一角に陣取って1人格闘していた。マンガ数冊とCDプレイヤーを持って。
うっかり、迂闊にも貴重品入れの鍵を枕の下に置きっぱなしだった為、あっさり持っていかれた。財布(カード類は親に渡してあったけど)、現金、そして…給料袋。
僕と同じくベッドを空けていた何人かが被害に会った。
24時間出入りは出来る訳だからお見舞いを装ってこっそり侵入する事は至って簡単なのであった。
良心が傷まなければね。
まぁ、僕がマヌケなのは間違いない。
若干凹んだのは言うまでも無い。


そうこうしている内に抗がん剤の投与も終わり、HLA検査の結果が出た。
今度のI野先生はじらす事無く、でもなかなか言い出しにくげに、目は泳ぎながらもでもはっきり言ってくれた。
「松本君、残念ながら『不適合』です。で、これからの治療方針なんだけど…」
先ずは骨髄バンクに登録し、僕のHLAと一致するドナー候補者を探す。
治療面では抗がん剤投与が終わった訳で、がん細胞が血液中に存在せず、なおかつ正常な数の血球が血液中に存在する様になる状態、寛解を目指していく。
と言う事になった。

僕は元々ネガな思考方法をする質で、悪い方を想像してそれが当たったら「ほーらね」とか思ってしまう。きっと期待してそれが外れるのが怖いんだよね。
でも当たり前の事なんだけど今回ばかりはそれが外れる事を望んでいた。
けれど、やっぱりこうなった。いつもの「ほーらね」の方がダメージが少なかったのかもしれない。
けど、こればっかりはそりゃ期待するでしょ。
でも、まぁそうなんだからしょうがないよねってな感じで何とか平静を保とうとする。

同席した母が先生との話を終え、部屋の外に出るとポロポロと涙をこぼす。
こーいうのを目の当たりにすると何かもう、どうにもやり切れない思いが。いやーアレはキツイ。

その夜、妹からもメールが入った。
内容は大体想像ついていたし、見るのが怖かったので2日後に見た。
心配かけまくっている駄目なアニキである。
僕は何か辛い事が起こると一人になる事を望む傾向がある、心の狭い人間なのだろう。
今もあまり変わってはいない。

勿論家族に対して心配ばかりかけているからそれに対して申し訳無い気持ちはありすぎる程あったけれど。

余談だが、不一致を知った友人達がもしかしたら…と言う事で自分達のも調べてくれ、と言って来た事があった。
でも、20000円と言う安く無い費用がかかる事と、正直一致の可能性が限り無く低い事。
その気持ちだけで十分だから、もし何か出来る事を…と思ってくれているのなら骨髄バンクに登録して誰かに提供出来る機会があればそうしてくれ、と伝えた事があった。

さっきも書いたけれど、骨髄異形成症候群における化学療法での完治は未だデータは残っていない。
親兄弟がハズレだった為、僕の場合はバンクに登録し、非血縁者から同種の骨髄を提供してもらうしか無い。
一致するHLAが見つかるだろうか?先ずは登録して調べてもらう他は無い。
とにかく移植を行う他は助からない。
骨髄バンクで一致が無ければ臍帯血バンクでやってやろうじゃないか。
分かりやすくて良いぜこんにゃろう。


抗がん剤投与から1週間。
まだ髪の毛は抜けてこないので、友人の美容師さんに来てもらって散髪をしてもらった。
どうせ抜けるんだけど…
彼女が言うにはトム=ヨークっぽくしたのだそうな。
データ紛失により写真はありませんが、むぅ、そうなのか?ってな感じですがね。
でもでも何かね、嬉しかった。

その2日後?かな。
普段通りシャワーを浴びて、下の毛を見る。
何と言ったら良いのか、『ツヤ』が無い。
所謂ビキニライン的な辺り、毛の下の皮膚をカリカリとする。毛が、抜ける。
毛を引っ張る。引っ張った分だけごそっと抜ける。
思わず息を呑む。
あ、頭も?
ぐっと掴んで引っ張るとわさっと抜けた。
うわー抜けたー、やっぱり抜けたー
風呂場で一人で騒ぐ。ちんこ丸出しで。
何かもう、テンションが上がってんのか下がってんのか分かんなかった。

次の日、坊主にした。
やけに興奮したのは覚えている。中学の時以来である。
丁度向かいのM木君も看護師さんに刈ってもらう所だったので序でにやってもらった。
僕はまぁ、男の子だからショックでもないんだけど、女の子はキツイんだろうなぁ。


写真は坊主寸前にいたずらされた自分。
やけに楽しそうなのは生来のエロ心からなのは言うまでもありません。

気がつけば11月。
薬のお陰で悪い細胞は血中には存在しなくなり、その副作用で白血球もどんどん減少していった。もうすぐ大部屋から個室へ移動する事になる。
空気清浄機が備え付けの「セミ・クリーンルーム」と呼ばれる部屋だ。

【続】

at 00:36, kentaweller, ずっと前 vol.1

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