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2003年11月〜12月中旬 セミ・クリーンルーム

 大部屋もだんだん慣れてきて同室の患者さんとも軽い会話を交わすようになっていたのだが、やっぱ色々気を使う訳で、疲れる所はあった。
なので、個室に移る事が出来ると聞いて結構嬉しかった。
でもでも、何で個室に移る必要があるのか、そこまでは考えていなかった。
僕の頭の中にあったのは『欲』だけであった。
ピンクとかそう言うのじゃなくて、気兼ねなく○○出来る。とかね。あらピンクな言い方になっちゃいますね。そうじゃなく、例えばヘッドフォン無しで音楽を聴いたり、映画を見たり、…ああ、もう良いや。つまりピンク一色であった。

当時僕の白血球は300。
これは結構、いや、めちゃめちゃ少なくなっていた。
基準値が3000〜5000位?だから、抵抗力が無くなっている状態なのだ。
口内炎とかそう言った類いの物は出ていなく、まぁ、(入院当初からの)いつも通りな感じでは居た。

今まで過ごしていた部屋を片付けている時、向かいのM木君がやってきて、経過が良好らしいので近々退院するとの事を伝えてきた。
僕がこれから行くセミ・クリーンルームは一応家族以外は入室禁止な為、ここでお別れとなってしまうだろう、と話した。
その最中、看護助手のおばちゃん2人が来て、荷物&ベッドを移動し始めた。
ここでお別れ。
まぁ、色々お互い頑張ろうね、ってな感じでバイバイした。
M木君は今でも元気だと思う。

さて、個室。
最高。
先ずは…テレビ。
前は有料だったんだけど、この個室は普通のテレビが備え付けられて居た。
1000円2000分だったカードが要らない訳だ。
早速PS2を接続し、三国志を。
ポータブルレコードプレーヤーを借りてあったので、自宅から持ってきたお気に入りやお見舞いで友人が持ってきてくれたレコードをかける。
優雅であった。
診察にきた先生もにやけてしまうくらいに寛いでいた。

その日の夕食はハンバーグ。何故か覚えている。
TVで野球のアテネオリンピック、アジア予選のVS中国が放送されていた。
長嶋ジャパンである。懐かしいね。
それを見ながらベッドでゴロゴロしていると、悪寒的な何かが。
だるい。
気持ち悪い。
そして、寒い。
抗がん剤投与から約1週間。気が緩んでいたのは確かで、あれ?これで終わっちゃうの?的になめていた。
ナースコールをし、体調の変化を伝え、とりあえず寝た。

それからもの凄い熱が出た。
1週間くらいぶっ続けで39℃〜41℃を行ったり来たりしていたらしい。
意識はあまり無かった。
朦朧。
混濁。

2日おき位で母が来てくれていたのも全然覚えていないし、意識が戻ると枕元に置いてあるゲロ受けにリバースして、リバースのし過ぎで何も出ない時は胃液を滴らせ、天井をボーッと見つめながら水かスポーツドリンク的な何か、ウィダーin的な何かを飲んで、また寝る。を繰り返していた。

その部屋は空気清浄機は付いてはいたものの、元々普通の個室だったので、トイレは部屋の外だった。一応部屋には簡易トイレが置いてあったのだが、まだまだそこまで割り切る事が出来ず、頑に外のトイレで済ませていた。
点滴スタンドをカラカラしながら近くのトイレへフラフラ歩く。
いつの間にか栄養点滴が繋がれていた。
大きい方は水分しか出ず。小さい方も勿論水分しか出なかった。勿論胃液も。

I野先生曰く、初めての抗がん剤投与の人には「敗血症性ショック」と言う物が起こる可能性が高い、との事。あー良かった。最初にこれで死にそうになった人の話を聞いたら本当にゾッとしたからね。

発熱から1週間ちょっと。
次第に発熱は沈静化し、それと共に食欲は戻っていった。
だいぶ痩せた。
5キロ程減った。
どんなんだ。

体調が戻ると再び其所での生活が快適な方向に向かった。
夜更かしが出来るのがとにかく嬉しかった。
本を結構読んだ。
特に前述の「白血病と言われたら」を。
怖いけれど自分の病気をちゃんと知っておこうと思った。
知ったからと言って助かる可能性が高まる訳では無いし、ひょっとしたら知った事で治療について疑心暗鬼になってしまうかもしれない。
でも知っておくべきだと思った。
目を背けたくなる事もいっぱい書いてある。
でもそれは只の統計であり、僕の事を書いてある訳ではない。
個人と統計は違う。

とにかく、自分の「縁」を信じてみる事にした。
色々選択肢がある中で偶然ここに辿り着いて今こうしている。
決して今は悪い時期ではないのではないだろうか?と、思うように努めた。

その頃には先月登録した出会い系サイトお試し体験版からの『出会いありましたよメール』も少なくなっており(酷い時は1日50件は来たから)、音楽、読書、三国志(厳白虎でクリア目指しましたが無理でした)に没頭し、母、猫娘からの差し入れを心待ちにし、看護師さん達と仲良くなっていく事に楽しみを覚えるようになっていった。

経過は順調、と言いたい所だったが血液中の数値が上昇していかない。
抗がん剤投与により、芽球が無くなり、それと共に白血球等も減少、時間の経過とともに減少した血球が基準値に戻る(=寛解)なのだが、中々そこまで行かない。
もどかしいのだが、こればっかりはどうしようもない。
僕の病気は造血細胞がゆっくりとガン化していく為、普通の白血病よりもしぶとく(治療抵抗性)投薬後の回復も遅いそうなのだ。
治療計画では投薬から1ヶ月後に血球が回復してくる計算だったのだが、それ以上経っても中々思うようにはいっていなかった。

気が付くと12月。

入院してから2ヶ月なんて本当にあっという間であった。

【続】

at 02:36, kentaweller, ずっと前 vol.1

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