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2003年年末年始

さてさて、クリスマスも過ぎ、僕は26歳になった。
体調は良く、血球もまぁまぁ、健常者と比べると少ないながらも安定していた。

骨髄バンクからの報告なのだが、適合者はまずまずの人数が居るとの事。
そこから『コーディネート』と呼ばれる作業に入る。

覚えている限りざっくり説明すると…(2004年当時の僕が聞いた記憶です)

1.バンクはその中(適合者のリスト)からランダム?に5人リストアップする。
2.そしてその5人にコンタクトを取り、提供の意思があるかどうかを確認する。(1人リストアップするだけで何万円かかかり、リストから1人消えたら1人追加、という風に随時追加して行き、その都度お金が加算されていく)
3.提供の意思表示してくれたドナー候補者はその後血液検査&再度HLAの検査を受ける(この費用は患者側が払う)
4.患者側はその結果を受けて数度の細かな検査を受け、ドナーを選定し、候補者側の最終同意を得る事が出来れば晴れて移植。

となり、ドナー候補者はこのコーディネートがどの段階まで進んでいようと作業を中断、キャンセル出来る。

お金がどうのこうのと誤解されるかもしれない書き方をしてしまったけど、自分の都合(病気)の為に「任意のボランティア」の方の貴重な時間を割いてもらう訳だからそれはそう言うもんだと思っている。何かのきっかけでバンクに登録してまさか自分に通知が来るなんて、ってなケースはよく聞くが、決して強制ではないから何時でもキャンセルはできる。

I野先生から言われたのは諸処の手続きが多い為、いくら早く行ってもバンク登録後半年は待たないといけないらしい。
その日までは病状の悪化だけは何としても避けなければならない。どうする事も出来ないけど…


気が付くと…もう年末。
別にいつもの感じ、ベッド上で年を越して普段よりもっとダラダラと過ごすんだろうと思っていたのに、I野先生が
「どう?調子良さそうだから年越外泊してみる?」
的な嬉しい一言。
大晦日の昼〜元日消灯1時間前まで。
嬉しかったんだけど、何なんでしょう、変なイジケ心からか、何か変なのもらっちゃうかもしれないから…とモゴモゴ子供の様な事言い、その数時間後に慌てて先生を捜し、やっぱり外泊します!となった。


外泊出来る。


先ず迷った。実家帰るか。名古屋で過ごすか。
移動距離、時間等色々考えたけれど名古屋の自宅で過ごす事に決めた。
両親も気持ちを汲んでくれ、僕の好きにさせてくれた。
あの時もその時もどうもありがとう!


大晦日。
昼過ぎに友人のキイチが病院に迎えに来てくれるとなっていたのだが、待ち切れずに午前中からやけにソワソワして、昼を過ぎてからはまだかまだかとイライラしていた。

外泊届けは昼食前に出したし、荷物は既に纏めてある。
携帯をずっと側に置き、握りしめ、開いたり閉じたり。

1時過ぎに到着。仕事(どっちかって言うと土木作業的な)で使っていたちょっとアレなハイエースで、乗り込むと懐かしいヤニの香りが。
あら、良いですねぇ。

車が走り出す。
とりあえず窓を開ける。
病院の、何とも言えない生温い空気とは違い、ひんやりとした空気が、兎にも角にも気持ちよい。

千種辺りのどっかで飯を食ってこうぜ、ってな話になり、食事の前に徐にビールを注文。
何か小学生のあの頃、実家の夏祭りの父親と伯父さん、爺ちゃん達がマージャンやりながら飲んでたビールを初めて舐めた頃の、そんな味。

そして食後。奴がトイレに行ってる時にこそっと一本拝借し、点火。
恐る恐る煙を吸い込み、吐き出す。
むぅ…
よく分からん。
美味いんか?不味いんか?タバコを口にくわえると言う行為はやっぱり良いねぇ。

夕方が近づき、大晦日特有の、静かなんだけど慌ただしいあの空気を感じながら広小路→R41→東区泉の超人気スーパー「マルキ」へ。
そこで今夜の食材を買い付け、そのまま清水口の交差点を抜け、釣具屋の上の自宅へ。
先ずは大家さんに挨拶。
大家さんの甥っ子さんも血液疾患、再生不良性貧血を患っていた為、コンビニ袋に入ったビール等を隠しながら暫くそういった話をした。バレバレだったけど。

築ウン十年のマンションの階段を軽くクラクラしながら三階まで上り、自宅のドアを開ける。
静かに片付いていて、他人の部屋の様だ。
母親がキレイにしてくれてたんだろう。


まぁ何だかんだつまみになりそうな物をゴソゴソ作っているとなんか変なのがゾロゾロとやって来て勝手に宴会が始まった。
始めの頃は幾分控え目に缶ビールをすすっていたのだが、焼酎のお湯割りを飲み始めたらその旨さにやられ、何杯もおかわり。

あくまでも『外泊』でありにもかかわらず、あたかも退院祝いの様な宴は早朝4時頃まで続き、そのまま東区泉の友人宅に合流する事になった。

そっちはそっちでまた凄い事になっていて、居るわ居るわ見知った顔が沢山。
病人の癖にここでも肉を焼いたり何だかんだやった。
性格的にもそんな事やってる方が気が楽なんだけどねー
腫れ物に触る的な、変に気を使ったりしてくれない所で大分救われた気がした。どうもありがとー

その時ほぼ初対面だった新栄のバー、マスバーの店主、ますやんは酔うと今でもこの話をするので軽くうざかったりする。しつこく覚えていてくれてどうもありがとう。

この界隈の皆さんは行き過ぎたジョークとワルノリが大好きで、まぁ、僕もその口なんですけど、その夜も色々あってゲラゲラ笑って、そんな事やってる内に朝を迎えた。

午前8時頃、猫娘と一緒に自宅へ戻り、そのまま爆睡。
しんみりとする暇が無く2005年が始まった。


翌日は朝8時に起こされる事無く昼過ぎまで寝て、その後少しゆっくりして夜7時頃病棟に戻った。
下界で買い込んだ本、マンガを抱え、またいつもの入院生活が始まる。


《続》

at 02:24, kentaweller, ずっと前 vol.1

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